コレが素質?

 昨日は、自転車屋さんの練習会に参加した。

 ソコに、競技用の自転車に乗った経験がほとんどナイ高校生も参加していた。

 競技用の自転車は、ペダルと「足」を固定する。

 競輪選手は「ストラップ」という一種のベルトで、ペダルと足を固定する。

 しかし、一般道を走るロードレーサーと呼ばれる競技用自転車は、スキーのビンディングに似ている機構で、ペダルと足を固定することが多い。

 ただ、この固定機構は慣れないと固定するのは大丈夫なのだが、「外す」のにはちょっとしたコツがいる。

 さて、その経験が浅い高校生はその「外す」コトをやたらと気にしていた。

 「外れない」、「外しにくい」と・・・。

 ワタシはソレを見て、「そーか、コレが素質というものか」と思った。

 うん?どーゆーこと?

 説明しよう!

 理由はカンタンで、自転車に関する素質がある人間は「外す」コトは気にしない。

 では、何を気にするのか?

 言うまでも無く、「いかに固定できているか」を気にする。

 そう、自転車に関する素質がある人間は「ペダルが外れるかどうか」などはどーでもいいのだ。それよりも、「いかに確実に固定できているか」を気にする。

 例えばチカラいっぱいペダルを踏んでみて、どうも「ガタ」がある・・・、固定位置が合っていない・・・そんなコトを気にする。キチンと外れるかどうかなんかは二の次。

 極端なハナシ、ペダルが外れなくてその場で転倒しても別に構わないと思う。

 まあ別にどーでもイイコトなんですけどね。

 ちょっと気になったので。

 そうそう、内藤大介選手負けてしまいましたね。残念。

 1~4Rの差を5~8Rで挽回したと思ったのですが、結果は逆に差がついてました。ちょっと意外でした。

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タイムの壁

 自転車競技には、1000mタイムトライアルという種目がある。この種目は残念ながらオリンピック種目では無くなったが、世界選手権では実施されており日本競輪学校の入学試験においては、200mフライングダッシュと併せて実技試験科目となっている。

 ちなみにワタシは、英語表記よりも「千米独走時間競争」という日本語表記の方が好きですが・・・。(^-^;

 この種目は、静止状態からスタートの合図と共に発進し1000mの距離を一人で走りきる・・・という、ある意味「単純」な種目。同時に、トラックレースにおける基本走力の指標とも言え、今まで対戦したことがない相手の場合「コイツって、1000m何秒ぐらい?」と調べるのが通例・・・である。(^-^;

 さてこの種目、フシギなことに「タイムの壁」というものが存在する。

 だいたい、生涯で初めて1000mを走った時のタイムから何秒かおきにその「タイムの壁」は出てくる。これもフシギなモノで、たいていは1分20秒・1分15秒という「5秒刻み」になるコトが多い。

 例えばワタシの場合、初めて1000mを走った時のタイムは1分25秒。

 2回目は1分22秒。その次は1分21秒。

 そう、ワタシの場合もまず1分20秒というのが最初の壁になった。コレはよくあるレヴェル。ちなみに才能のある選手は、イキナリ1分17秒ぐらいで走ったりする。

 1分20秒の壁を破ると、ワリとカンタンに1分17秒まで行った。

 ココでまた壁。

 ナカナカ、1分15秒まで行かない。

 しかし選手には、なぜか「タイムが伸びる時期」というのがある。ワタシの場合、1分14秒を出したその次には、1分13秒まで一気にタイムが伸びた。

 だけど、その「揺り返し」も来た。

 その後は、また1分15秒台しか出せない状態になった。

 世間では、この1分13秒のタイムを「まぐれ」と呼ぶ・・・。(^-^;

 こんな感じで、高校2年生のシーズンは終わった・・・ように覚えている。

 その後は、1分12秒台を2回出したがコンスタントに出せるタイムは・・・1分13秒台だったと思う。そんなレヴェルだった。

 ワタシ自身、運動に関する素質はまったく無かったので、誰でも努力さえすれば1分13秒までは出せると思う。

 だから、1分12秒というのが凡人の最後の壁・・・のように思う。

 恐らく(経験はないが)、1分12秒の壁を破れば1分10秒までは一気に伸びそうな気がする。

 ただ今から考えれば、このレヴェルまで来たらトレーニングの方法をまったく変えてみるというのも一つの策だと思う。

 大雑把に言って、冬の基礎練習~春の走り込み~夏のスピード練習~秋の集大成というサイクルを真面目に3年ほどやれば、このレヴェルまでは来る。

 問題は、こっから先。

 たぶん、今までと同じトレーニングを続けてもタイムは伸びない。

 コレ、シゴトでも同じですよね。

 長く続いている不具合を解決しようとすれば、今までとまったく違う方策を検討してみる・・・。

 ちなみに、現在の日本競輪学校入学試験合格者の平均タイムは、1分12秒34。

 コレは偶然の一致かな・・・?

 

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テクニックの差

 先日、長義和選手について記事を書いた。

 長義和選手の活躍により一時期、スプリントレースに勝つには「テクニック」が重要・・・と思われるようになったコトがある。

 ただ、「テクニック」が勝利を左右するのはあくまで「基本走力」が同等若しくはかなり近い場合に限られる。

 具体的に言うと、200mフライングダッシュで0.3秒以上のタイム差がある場合は、これをテクニックで引っくり返すのは至難の業だ。

 例えば、スプリントレースでよくある先行を嫌ってのスタンディングも静止状態からの加速力、イワユル「ゼロ発進」が互角以上でないと止まったはいいが、その瞬間に相手にスパートされて終わり・・・という笑い話になる。

 (実際に、それで負けた人を見たコトがある)(^-^;

 やっぱりスプリントレースの醍醐味は、爆発的な瞬発力を持つ者同士が一対一で、時には格闘技のようにがっぷり組んで戦う・・・ことだと思う。

 テクニックはその次。

 これは、当の長義和選手が初めて全日本選手権で勝った時がマサにそうで、「バンクをゆっくり走るのが怖い」から「先行オンリー」で勝利を収めた・・・という事実がそれを物語っている。

 恐らくこの時、長義和選手は相手のテクニックさえも粉砕してしまう、圧倒的なスプリント力があったのではなかろうか、と思われる。

 そして200mフライングダッシュのタイムだが、たしか長義和選手のベスト記録は10秒74で、中野浩一選手は10秒58だった・・・と記憶している。

 ちなみに当時、10秒5台のタイムを出せる選手は世界でも5~6人?と言われていた。

 長義和選手のタイムは、正直このレヴェルからは一段落ちる。

 ただ前回も書きましたが、共に日本の自転車競技史上に残る偉大な選手であることには間違いありません。

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記憶に残る名選手その15

 わが母校の大先輩、長義和選手。

 なぜか最近、「長義和」という検索を行ってこのブログを訪れる方が居られますので、ちょっと詳しく書きたいと思います。

 まず、あまりにも有名なハナシは、高校2年生の時に出場した全日本選手権でイキナリ優勝。16歳で全日本チャンピオンとなった。

 種目はスプリントレース。(当時はスクラッチレースと呼ばれていた)

 ただこの時本来は、4000m個人追抜きと1000m独走にエントリーしていたが、エントリーミスでなぜかスプリントレースに出場するコトとなった。

 バンクの上をゆっくり走るのは怖いので、スベテ先行逃げ切り・・・であれよあれよと勝ち進み、結果的に優勝を果たした・・・らしい。

 ちなみに当初は、短距離よりは中長距離の方を得意とされており、同じ年のインターハイには個人ロードレースに出場して2位に入っている。

 これは、高校時代の先輩であり当時尊敬していた、戎井弘元選手の影響が大きかったと思われる。(「わが麗しきウインブルドン」より抜粋)

 高校を卒業後は法政大学に進まれた。

 そして、法政大学中退→杉野→シマノと所属が変わる。

 その間に、ミュンヘンオリンピックとモントリオールオリンピックの2回、オリンピックの日本代表に選出された。

 特に、モントリオールオリンピックでは日本の自転車競技史上初となる6位入賞を果たされた。

 これは、当時の日本とヨーロッパのレヴェル差やアマチュア選手の強さを考えると、マサに「快挙!」と呼ぶにふさわしい結果である。

(実際、当時はトラック競技に限っては、プロ選手よりもアマチュア選手の方が強かった)

 当然、全盛時代には国内で互角に戦える相手がおらず、ヨーロッパのグランプリレースを転戦していた。

 ココでもデンマークで開催された「アーハス・グランプリ」で、日本人としては初となる国際グランプリレース優勝を果たす。

 国内の試合では、国体5連覇・・・など書き始めたらかなりの量になってしまう・・・。(^-^;

 そして3度目のオリンピック(モスクワ)出場を狙った昭和55年の全日本選手権で、1000m独走では大会新記録を更新して優勝したが、カンジンのスプリント種目では敗退して4位に終わる。

 ただし、このモスクワオリンピックはソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、米国がボイコット。日本もそれに倣い、オリンピック出場をボイコットした。

 当時マスコミは、マラソンの瀬古利彦選手・柔道の山下泰裕選手と並んで「悲運3人男」と呼んだ。 

 しかし正直、瀬古利彦選手と山下泰裕選手は出場したら恐らく、かなり大会確率で優勝した(悪くともメダル)と思われるが、長義和選手の場合は・・・カナリ厳しかったのではなかろうか・・・。

 結果的に、モスクワオリンピックの代表を辞退し、長義和選手はこの年で引退された。

 さてよく言われるハナシであるが、果たして長義和選手と中野浩一選手はドッチが強かったのか・・・というコト。

 中野浩一選手が初めて世界選手権の代表に選ばれた年(結果は4位)、代表合宿で長義和選手と何度か対戦したが、「手も足も出なかった」らしい・・・。

 ただ、その後中野浩一選手が全盛期を迎えた時、具体的に言うと世界選手権で5連覇の時ぐらい・・・だったら、中野浩一選手の方が強かった・・・と思う。あくまで個人的な考えですが。

 そしてお互いが、全盛の時期に対戦したら・・・、テクニックの長義和選手対パワーの中野浩一選手となるが・・・、中野浩一選手に軍配が上がるのでは・・・と思う。

 しかし、直接対決ではそうなるかも知れないが、ある国際大会に二人が出場したら中野浩一選手が上になるかどうかは分からない。

 このへんが、自転車競技のフシギなトコロ。

 確か実際にそういう状況の国際大会があり、長義和選手は予選を通過したが中野浩一選手は敗退して、その後「主催者特別」のような形で本選に進んだ・・・コトがあったと思う。

 最終結果は、中野浩一選手は3位で長義和選手はそれよりも下の順位だったと思う。

 いずれにせよ、日本の自転車競技史上に燦然と輝く、偉大な選手であることは間違いない。

 

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無謀の結果

 夏休み最後の日。

 以前書いた無謀な計画はやはり、実行されることとなった・・・。

 〇〇〇を自転車で登る計画・・・。

 集合場所は、同じコースを使って行われるロードレースの出発地点である駐車場。集合時間は、朝9時。

 連絡メールを読むと、どうやらソノ集合場所までは各自クルマで移動する模様。

 なに~、自転車乗りの風上にも置けんな!軟弱な!

 ワタシは、家にクルマが1台しかないので使えず 元競技選手のプライドにかけて、自走で行くことを決断した。

 ・・・、しかしコレが間違いのモト・・・。

 登り始めてカナリ経ってから標識が見えた。

 サングラスを掛けているので良く見えない。「1」という数字が並んでいる。ウン、あと1.1kmか・・・、楽勝じゃん。

 で、近づいてみると「△△駐車場 11km」

 じゅういちキロ~、アト10km以上この登り坂を登んの~。

 ( Д) ゚ ゚

 まあしかし、何とか集合場所にたどり着いた・・・。

 この時点で、20km近く登り坂を走っている。

 ギア比は、39×21・・・。

 こっから先はちょっとムリ・・・。

 自走で来たことに免じて、そのままご帰宅・・・させて頂きました。(^-^;

 そして午後は次女とプールに行く約束をしていたのですが、急に次女は「釣りに行きたい!」と言い出した。

 そこで急きょ、午後3時ぐらいから某港へ・・・。

 そーすると、なにやら群れている魚が・・・。

 「ボラか~?」と思っていたら・・・、

Photo_2

 ホントにボラでした・・・。(^-^;

 夏のボラは美味しくないというハナシですが、半身は刺身に残りの半身は唐揚げに・・・。

 家族は、「臭い」と言ってましたが・・・。

 ワタシはフツーに酒のツマミとして食べました。

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銀メダルと練習

 高校自転車競技のトップ選手たちは、インターハイが終わるやいなやモスクワに飛んだ。

 今度の舞台は、世界ジュニア選手権。

 その大舞台で、ナント!!元砂勇雪選手が銀メダルを獲得・・・。素晴らしい!

 コレに触発されたワケではないのですが、ワタシもボチボチと・・・走っています。ホントに、ボチボチです。

 前にも書きましたが、9月に開催される日本スポーツマスターズに出るつもりだったのですが・・・、ムリです。(^-^;

 来年出ようかな・・・って、去年も同じコト言ってたのですが・・・。

\(;゚∇゚)/

 ちなみに来年の開催地は三重県。

 ひょっとして、鈴鹿サーキットが舞台かな・・・?

 地理的にも出れなくはないケド・・・。

 ただやっぱり、このスポーツで気になるのは落車とそれに伴うケガ。

 他のスポーツでは、まあ余程のコトがない限り大きなケガをすることはないケド、自転車競技は違います・・・。

 どー気をつけていても、目の前で転ばれたら避けようがありません。

 そして、良くて擦過傷。ヘタすれば骨折・・・などのケガに見舞われます。

 それも、若いうちはまあ周囲も許してくれるかも知れませんが・・・。

 40歳も半ばを過ぎて、趣味の自転車で転んで骨折してシゴトを休む・・・なんてコトになると洒落になりません。

 ということで、「試合に出る」などという大それたことは考えずに、気が向いた時にボチボチ走る・・・コトを目標にします。

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強者の子孫

 スポーツ漫画「エースを狙え!」には名文句や心に残るエピソードが多く、私もこのブログでよく書く・・・。(^-^;

 例えば、楽天の野村監督がよく使う「負けに不思議の負けなし、勝ちに不思議の勝ちあり」という言葉も、エースを狙え!で使われたのが先(だと思う)。

 そして、日本のスポーツのレヴェルは世界と比べて決して高いとは言えない。

 「エースを狙え!」でもそれに触れているエピソードがある。

 主人公である岡ひろみらが初めての海外遠征に出るときのハナシ。

 日本庭球協会の竜崎理事(お蝶夫人=竜崎麗華の父親)が選手を集めて訓示を垂れる。

 「確かに、日本のテニスは世界に比べて遅れている。但し我々には歴史がある」という内容のハナシ。

 その歴史とは・・・、例えばこの選手たち。

 熊谷一称選手。

 テニスの全米選手権でベスト4進出。またオリンピックで、シングルスとダブルスで銀メダルを獲得した。これは、日本のスポーツ選手が初めてオリンピックでメダルを獲った瞬間でもある。

 清水善造選手。

 ウィンブルドンで3位に入った。(正確に言うと、挑戦者決定戦でチルデン選手に負けた)

 この時、相手のチルデン選手が転倒したのだが、清水善造選手はチルデン選手が立ち上がって打ち返せるように、ワザと遅い球を返したエピソードは有名。確か、学校の教科書にも載った。

 佐藤次郎選手。

 世界ランキング3位。4大大会でも通算で5回ベスト4に入った。実績では日本のテニス史上最高の選手。

 しかし、26歳の時にマラッカ海峡にて投身自殺。

 ハナシを戻すと、竜崎理事は「日本のテニス選手は世界の舞台において、断じて弱者ではなかった。諸君らは強者の子孫として自信を持って試合に臨んで欲しい」と締めくくった。

 日本の自転車競技も世界とは差がある・・・と言われている。

 一般には、世界選手権で10連覇を果たした中野浩一選手が有名だが、それ以前でも実は世界選手権で入賞した選手はいる。いくつか挙げると、プロスプリントで平間誠記選手が5位で、吉川多喜夫選手が6位になっており、阿部良二選手は3位と6位の実績がある。意外にも、団体追抜きでは5位に入ったこともある。

 オリンピックでは坂本勉選手が3位、十文字貴信選手も3位。チームスプリントでは2位の実績もある。

 どうだろう・・・?

 果たして日本の自転車競技は「弱者」なのだろうか?

 なんだかんだ言いながらも、何年かに一度は世界の舞台で好成績を収めていると言って良いのではないか。

 そして今年のツール・ド・フランス・・・。

 これからは、何ら臆することなく世界の舞台に出て行っていいのではないかと思う。

 

 

 

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記憶に残る名選手その14

 自転車競技には、4000m個人追抜きというトラック種目がある。

 イワユル、独りで走る「タイムトライアル」競技なのだが、実際には正反対の位置に相手走者が存在する。本来は、この「相手走者」に勝つことを目的としているのだが、国内大会ではタイムレースで行われることが多い。

 ワタシ自身は、この種目を「専門」としていた時代がありそれ故に思い入れが大きい種目でもある。

 ワタシが思うに、最も「美しい」トラック競技種目だと思う。

 ワタシがこの種目を初めて走ったのは15歳の時。

 高校に入学してまだ間もない、6月ぐらいだったと思う。

 そしてその時のタイムは、5分39秒。

 今では、「遅っそーい」と言われそうだが、当時はそうでもなかった。

 なんせ、その前年のインターハイ大阪代表のタイムが5分30秒ぐらいだったのだから・・・。(^-^;

 当時、高校1年生としては評価されたタイムではあったが、なぜかその後このタイムをナカナカ破れなかった。

 実はよくあるんですよ、こんなパターン。

 フシギと4000m個人追抜きは、「ビギナーズラック」が発生する種目。

 初めて走る時は、(アタリマエですが)一生懸命走るしホントに必死になる。

 ただその後、初めてにしてはケッコーいいタイムが出たこともあり、「欲が出る」ことも多い・・・。そして、「ペース配分をもっと考えたら・・・」とか「相手をペースメーカーにしたら・・・」とか考えたりする。

 そーなると、またコレもフシギとタイムが伸びない・・・。(^-^;

 そーゆー難しい種目なのです。

 この種目を得意としていた選手は・・・、大沢鉄男選手。

 この選手はかつて、全日本選手権の1000m独走で2回優勝し、4000m個人追抜きでは7連勝!を果たしています。マジです。ホントです。

 ちなみにこの大沢鉄男選手、全日本選手権2勝が示すように1000m独走も得意でした。

 1960年のローマオリンピックでは1000m独走に出場して、1分11秒86!!

 (今から50年前ですよ・・・)

 ただこの大沢鉄男選手、ある時ホントに「スパッ」と引退されました。

 自転車競技と生活がうまく行かなくなったから・・・というのがその理由だったようです・・・。(;д;)

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夏の試合

 三日連続のインターハイネタ・・・。(^-^;

 インターハイ自転車競技の最終日は、三重県鈴鹿サーキットに舞台を移しての個人ロードレース。

 結果から言うと、奈良北高校の山本元喜選手が2位を約1分引き離しての独走ゴール!ミゴト、優勝を果たしました。

 ちなみに2位以下は集団でのゴールですので、山本元喜選手の積極性と勇気が功を奏した・・・というトコロでしょうか。(レース展開は知りませんが・・・)(^-^;

 ただ、「単独での逃げ」というのはワタシもやったことがありますが、ホントにキツイです。

 なんせ相手は集団で追ってくるワケですから・・・。

 例え相手と何分離れていても安心は出来ません。

 従いまして、アタックをかけるにしてもそのまま「単独で逃げる」という判断をするにしても、「勇気」が必要だと思います。

 そしてワタシの長女も高校生。

 中学~高校と同じクラブ活動をしており、中学時代は地域大会→県大会→地方大会と勝ち抜き、全国大会への出場を果たしたが、高校でのレヴェルはイマイチ・・・。

 昨年は、地域大会(緒戦)落ち。

 2年生として望んだ今年は、先日の地域大会を勝ち何とか県大会へとコマを進めた。

 全国大会出場というのはちょっとムリかも知れないが、地方大会へは「行く気満々」。

 頑張ってちょうだい。

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四国路を駆けろ若人意気と熱

 現在開催されている全国高校総体(インターハイ)には、毎年「スローガン」があります。

 ワタシの高校時代3年間はそれぞれ、「競おう技深めよう友情」「四国路を駆けろ若人意気と熱」「羽ばたけ青春広げよう友情」でした。

 ちなみに今年のスローガンは、「君が今、歴史の新たなページを創る」です。

 カッコいい・・・。(*^-^)

 さて注目の「高校3連覇」がかかる元砂勇雪選手ですが、予選・準決勝ともに1位で通過しており、落車にでも遭わない限り3連覇は濃厚では・・・という感じです。

 あと特筆すべきは、4000m団体追抜きのレヴェルの高さですね。

 予選1位は、元砂勇雪選手を擁する奈良昇陽高校で、4分29秒台です。

 コレ以降も4分30秒台がズラリと続き、予選10位の学校でも4分37秒台です。

 つまり、例え4分40秒を切ったとしても10位がイイトコ・・・なのです。(^-^;

 4分40秒以内で走ることが出来る学校が10チームある・・・。

 これは、大学生チームと大差ないレヴェル。

 素晴らしいですね。

 それと高体連自転車競技専門部のホームページ

 リザルトの更新が、はやーい。いいシゴトしてますね~。

 忘れてならないのが山梨の末木浩二選手。1000m独走で優勝しました。o(*^▽^*)o

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